「問題」は悩むもの?苦しいもの?ツラいもの?


2月末に、歯茎の手術をしてきました。

日帰り手術なので、大それたものではないのですが、今は、ほとんど噛んで食事をすることができません。

おかゆ
りんごの葛ねり
焼き芋
煮っころがし
卵焼き
ポタージュスープ
などを食べて過ごしています。

口腔手術は、実は人生で2度目です。
1度目は高校生の時に。
全身麻酔・入院を伴ったかなり大掛かりなもので、今回の10倍くらい大変でした。

その時のトラウマというか、約20年もたったのに身体が恐れを覚えているんですよ。
今回の手術の1週間前くらいから不安でずっと胃が痛くて、しんどかったです。

それに、ちょうど出版にむけてのレシピ出し(どのレシピを掲載するか)という時期だったのもあって、術後どのくらいで回復するのか...
だって食べられなければ、レシピを思案するこもできないので、先のわからないことに対する人間の恐怖って止めどなく膨れ上がっていくのだなと思ったんです。

手術が終わってみれば案外不思議なもので、「まともに食べられない」という状況をどこかゲーム感覚で楽しみながら料理をしている自分がいるんです。

味覚が鈍いので、味見したって全然わからないんだけど、いつもの身体の感覚で味付けをしているからブレないんですよね。

いつもは思いつかない工夫ができたり、習慣になっている行動を一度壊して創造できる面白さ、つまり「破壊と再生」だなって思うと、なんだか日々の生活が新鮮に見えるのです。

人って、誰しも何かしらの問題を抱えて悩んでいるものだと思います。たとえ、表向きはそう見えず、キラッキラしていても、です。

じゃあ何が違うのかって
「問題=思い悩むもの、苦しい、ツラい」
という思い込みがあるのか、
「問題=気づき、チャンス、強み、個性、使命」
と思えるかの違いだと気づきました。

この差って、微差が大差になるのですよね。
例えば、わたしの場合「健康の問題」というのが、結構あります。

白血病
子供は産めない
口腔手術
とにかく疲れやすい
マッサージを受けてもすぐに凝ってしまう
偏頭痛がある
大人になってからの乳製品アレルギー
20年以上ニキビに悩んでいた

あげようと思ったら、もっと出てくると思いますが。笑

「問題=思い悩むもの、苦しい、ツラい」と考えて、解決できない事を悩もうとすればいくらでも悩めますし、料理のしごとをしているのに食べられないものが多いのは死活問題だと思ったこともあります。

でも「問題=気づき、チャンス、強み、個性、使命」と思えば、こんなにも「健康や食」の悩みが多いからこそ食にこだわるし、同じ悩みを持つ人の気持ちがわかるのです。

そもそも、病気になってなかったら、OLを辞めようなんてみじんも思わなかったですよ。

今回の歯茎の手術で、久しぶりに食事ができない状況になった時に「あぁ、最悪」と思って終わることもできます。正直、手術前まではこっちの思考が強かったです。

でも術後は「食べられるって本当に幸せだな。自分がまともに食べられないのに料理に向き合うのが楽しいって思うほど、やっぱり私は料理が好きなんだな」って自分軸を再確認する良い機会だったと思えたんです。

ほら、これって雲泥の差ですよね?

(変な話ですが、手術が禊(みそぎ)になったと感じました。滞ってたものがスーっと身体から抜けていった感覚なんです。)

もちろん、自分の考え方だけでは変えられない問題も多々あると思います。
でも、どんなに近しい相手でも他者を変えることはできないから、全ては自分にかかっていると思っています。

「問題=思い悩むもの、苦しい、ツラい」
という思い込みがあるのか、
「問題=気づき、チャンス、強み、個性、使命」
と思うか。

あなたはどっちを選びますか?



P.S

今月末には東京で開催される「とある座談会」のゲストに呼んでもらったので、それまでにはおいしいものを食べられる状態に復活していたいです〜。

(冒頭の写真は、【おだし不要。「ぶりの炊き込みご飯」は、焼きおにぎりのお茶漬けで二度おいしい】レシピはこちらです



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