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私、料理教室を続けてきて本当によかった。(2019/05/07)

あの頃の私は、レッスンのない日に1日中パジャマで過ごすことが多かった。

レッスンは月3日ほど、1レッスン2名。

高松に来てからまだ半年ほど。

何しろ疲れたらすぐに寝ることができる環境と、仕事がない日の方が多い新生活の始まりは、サラリーマン時代に蓄積した疲労を、回復するための時間だったのだと今では思う。

主人曰く、あの頃の私は、常に寝てるか、ゴロゴロしていたらしい。

確かに、彼のスマホのフォトギャラリーには私の寝ている写真がやたら多かった。

レッスンを始めた最初の頃は、とにかく自分のその日のエネルギーを全部注ぎ込んで、終わったらもうグッタリという調子。

月3日以外の日は、レッスンのレジュメを作ったり試作をしたり、外に出る必要もなかったので、1日中パジャマで過ごすこともとにかく多かった。

それまでの私も、今の私も、基本動き回っていたいタイプなので、1日中パジャマで家にいることなんて滅多にないのだけれど・・・。

それに、当時の私には、友達がいなかった。

まぁ、正確に言えば、生徒さんや、瀬戸芸で知り合ったスタッフ仲間など知り合いはいたけれど、自分がオフの日にランチしたり、お茶しに行ったりする相手は誰もいなかった。

つまり、自分が心を開いて悩み事などを話せる相手は旦那さんだけだった。

だから、発酵調味料を手作りして、それを使った料理教室をしようなんてことを、考えて初めてみたものの、自分のこの先のことなんて正直どうなるかわからなかった。

自分の夢だった『料理教室』という形だけは実現していたけれど、孤独だった。

けれど、孤独とは悲しい意味ではない。

私の場合には、友達と遊ぶことで現実から逃げたり、できない理由を探すことがなかった。

バイトでもしてみようかと思ったこともあったけれど、自分の地元ではない場所だからこそ、馴染めるのか不安だったし、せっかく辞めたサラリーマンの頃よりも安い時給で働きたくはなかった。

身体はとにかくしんどいことが多かったけれど、いつも心の中には大きな光があった。

「全国各地から生徒さまが集まる凄い料理教室の先生になるんだ」という謎の自信。

5,000円の単発レッスンを何度かするうちに、このままでは到底生計が成り立たないということがわかった。

もちろん、1レッスンに8名ほどで、月10回とか開催できれば話は別。

(レッスンの前日には買い出しがあり、レッスン後にはブログを書き、レシピを毎月考えて、80名の席を埋められる努力を残りの時間を使ってやるのは相当に大変。)

けれど、私はそんなふうに身体を酷使する働き方はできなかった。

私ができること、伝えたいこと、そして勿論世の中に必要とされ、私の教室が選ばれること。

それが一体なんなのかを、1日中パジャマで過ごしながらぼーっと考えていた。

自分で好きなものを生み出せる自由。

自分が生み出したものに自由に価格を設定できる自由。

24時間を好きに使える自由。

誰とどこで過ごすかを選べる自由。

何を表現し、どんな目的や夢に向かって人生の船を漕ぐかは自分次第という自由。

自由であることに憧れて、自由を掴んだ瞬間に、自由という波に溺れるような気がした。


だから、いつも私は「ワクワクする人生を創る」という旗に向かって船を漕ぐ。

船を漕ぎ続けた結果、今は、夢にも見なかった景色を見ることが出来ている。

胸のうちを話せる友達も出来たし、なによりブログやLINEライブを見てくれる人や私の体調を心配してくれる方々まで出来た。

今でも孤独だと思うことはあるけれど、孤独があるから閃くワクワクがあるのも真実だ。

今日も、GLW明けで、昨夜から疲れがゴッソリ出て1日中パジャマだけれど、あの頃とは全く違う世界に生きているような気がする。

私、料理教室を続けてきて本当によかった。

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