全て失ってしまうかもしれないと感じる時、私のステージが変わる前兆(2019/08/19)
ふっと頭によぎる言葉がある
それは嵐の前の僅かな雨の匂いに近い
目の前の現実だけ見れば、うまくいってるんだからそのまま続けていればいいと思ってしまう。
でも、なぜか、よぎった言葉がムズムズと心の中で虫のように動き回り、静かになったかと思えば、ある日また動き始める。
そんなことの繰り返し。
これを、予感、または予兆というのだろう。
仮住まいに暮らし、単発レッスンを続けていた時にも同じような言葉がふっと頭をよぎった。
「このままではダメになる」
ダメになるからと言って、どうしたらいいのか?と感じながらも、
なんとなく目の前に、やりたいことのぼやっとした形は既にあった。
でもそれが、当時の私には壮大すぎた。果たして『私なんかが』そんなものを作れるのだろうか?
栄養士でもなく、大した実績も経験もない私が、発酵について基礎から学ぶ講座というものを、作れるのか?
作ったところで、今まで来てくれてた生徒さまたちが、倍の金額もする講座に来てくれるんだろうか?
毎回レッスンに来てくれる生徒さまの顔を思い浮かべながら、「私はその人たちを見捨ててしまうの?」という複雑な思いにかられた。
それでも、ムズムズと心の中で虫のように動き回る感情は、消えることがなかった。
この仕事を初めてからは毎日のように決断の連続だった。
講座のテキスト作りに関しても、完成してからレッスンを迎える日までも決断することが多すぎて途方に暮れた。
どの言葉を選び並べていくのか、どういうフォーマットで、どういう順番で、レシピのバランスは、タイムスケジュールは、クラスの人数は、開催曜日は…。
そうやって作り上げたものが、果たして売れるのかはわからなかった。
結果的には18人満席になって嬉しかったけれど、辛かったこともあった。
当時5,000円のレッスンをしていた頃に来てくれた多くの生徒さまが離れてしまったこと。
そうなることはわかっていた。
それでも私は、「このままではダメになる」という予感を信じて、踏み切った。
わかっていたのに、現実にそうなった時、人間はどうしても傷を負ってしまうものだ。
その時思ったのは、なんのリスクもないままに拡大していくことは無理なんだということ。
誰にでも好かれる、誰にでもよく思われる、八方美人のようなやり方は、結局自分をダメにする。
何かを新しく始める時には、何かを捨てなきゃいけないんだ。
そうやって今まで、大切で失いたくないものほど『捨てること』を選んできた。
何度経験しても、いつもいつも怖くなる。『捨てること』は怖い。
「サラリーマンは嫌だからやめる」「要らない服を捨てる」「嫌いな人と距離を置く」という選択をするのとはわけが違う。
大切で失いたくないものを捨てるんだから。
耐性がついているとは思えないくらい何度繰り返しても怖い。
その先にどんな未来が待っているのかは、やってみないとわからないから。
でも、僅かな雨の匂いの後に嵐が必ず来るように、自分によぎった言葉が心から消えない日々が続いた時には、
覚悟を決めて「やらなきゃいけない」タイミングなんだ。
そうやっていままでやってきた。
明日、この世が終わってしまうくらい何もかも不安にかられる時、
全て失ってしまうかもしれないと感じる時、
それは私のステージが変わる前兆だ。