いつも氣は自分の元に置いておく(2017/05/13)
桜が咲いたと思ったら一氣に春が終わり、GWも終わり、氣づけば5月の中旬。
皆さん、5月病になってませんか?
私はここ数日、ズーンと落ち込んでいました。
まぁ、そもそも最近胃腸の調子が悪くて、全ての元凶はそれだと思うのですが(腸内環境が良ければ、幸せホルモンもたっぷり出ますから)なんだかわかんないけど、元氣が出ない。。。そんな状態でした。
私は、テレビなしの生活だし、Facebookもほとんど見ないし更新もしてないし、たまにインスタを見る程度なのですが、なんか色々氣になって料理関係の知り合いのことを調べてしまいました。
それで他人のことを見ていたら「自分なんてまだまだだ。全然ダメだ」なんて普段あんまり思わないような悲観的な思考になってしまって、そこからスイッチ入ってしまい、「私なんて。。。」みたいなモードになってしまったんです。
さらに、有名な先生の本など見て(私の好きな料理家 土井善晴先生の本です)いつもなら色々と氣づきがあってまた一つ自分の引き出しが増えていく感じと早く台所に立ちたいと思う氣持ちでいっぱいになるのですが、こんな時期だったからか尚更「私なんて。。。」という負のスパイラルにハマってしまいました。
どんな分野でもそうだけれど、勉強すればするほど奥が深くて、ゴールはいつまで経っても見えなくて、知れば知るほどまだまだ知らないことがあると氣づかされるわけです。
自分がどこまでやるのか、自分のゴールを決めて見失わないようにしないと、他人の軸や他人の意見、他人の行動に振り回されて、いつの間にか自分の決めたゴールとは別の方向へと進んで行ってしまうのだと。
結局はいつも他人視点で物事を考えるようになった時、迷いや焦りや自己否定が始まる。
いつも自分を見て、過去の自分と今日の自分と未来の自分の変化を見て進めばこんなことにはならない。
他人と自分の比較をし始めたとき、「元氣」だった氣がおかしくなる。
つまり、氣が元の場所にいない状態。だから、元氣がなくなる。
自分に向けておくべき「氣」がいつの間にか他人に向けられている。
戻る場所のない氣はどんどん外へ逃げていってしまう。
「自分なんて。。。」と思い始めたら、本当にそうなっていくってわかってて、そう思っちゃいけないと思うのだけれど、それが止められない時もある。
けれど、やっぱり病は氣からなので何処かでその思考を断ち切らなきゃいけない。
私は、たまたま今日尊敬する方の開催している食学講座という学びの場へ行くことになっていたので、生徒という立場を久しぶりに味わって初心に戻ることができ、自分の軸の大切さを改めて氣づかされて、負のスパイラルから抜け出すことができました。
「私は私でいいんだ。」
「十分やっているじゃないか。」
「私が心と身体で心地よいと感じることをシンプルに伝えていけばいいじゃないか。」
「私には、私のお伝えしていることに共感し、どんどん発酵食を深めて幸せになっている生徒さまがたくさんいるじゃないか。」
「私は、自分の経験から、悩んでいる人や迷っている人の、誰かの背中を押したいということを夢見て、それが今現実になっているじゃないか。」
「私の料理と出会って、人生が変わったと言ってくれる人がこんなにもいるんだから。」
「自分を否定するなんて、絶対にしちゃいけないんだ。」
こうやって、落ち込む時にはとことん落ちるのもいいと私は思います。
落ちるところまで落ちたら、まだ絶対に上がってくるから。
ずっとずっと上がり続けることはなく、何処かでバランスを取りながら進んでいくのが人生だから。
刺激的な日々と、何もやる氣が起こらなくて塞ぎ込む日々を繰り返すよりも、いつも両手の平にのるくらいの小さな幸せがずっと続くことを私は望んでいる。
だからこそ、いつも氣は自分の元に置いておく、決して他人に向けて、他人軸で他人基準で自分を評価してはいけない。
「元氣」という言葉の意味をある人から教わり、それからと言うものこの「氣」という考えをすごく大切にするようになりました。
皆さんももし今、5月病で元氣がないのなら、それは自分のことを自分軸で見れていないからなのかもしれません。
私はやっぱり元氣な私が好き。
明日からまた笑顔で、大好きなお豆をいっぱい食べて、毎日を過ごしていきます。