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”切なさ”という感情(2017/06/30)

皆さんは大人になってからの友達っていますか?

私は、今でも付き合いのあるほとんどの人が大人になってからの友達です。


もちろん、中学・高校・大学からの友達もいますが、人と比べても少ない方だと思います。

大人になってからの友達は、ゲストハウスで知り合った人、シェアメイト、料理関係の人がほとんどです。

大人になるにつれ、友人と会うことも減ってきました。

昔ほど広く多くの友達と会うことを積極的にしたいと思わなくなりました。

数よりも質になってきたなぁと思うのです。

こんな風に書くと寂しい人みたいに聞こえるかもしれませんが、この意見に納得してくれる方も多いと思います。

SNSが物凄く発達したために、会ってなくてもなんとなく友達のことを知れるようになりました。

日々やることに追われて、わざわざ日程を合わせて会うということが意外と簡単そうで難しくなりました。

わざわざ会わなくても、近況はSNSを見たらわかるようになっちゃいましたから、そこまでして「会いたい」と思うことが残念ながら減ってしまった氣がします。


実は昨日、高松に来てから親しくなったお友達とランチをしてきました。

彼女は転勤妻なので、6月いっぱいで高松から引っ越してしまうのですが、ちょうど私が高松に住み始めた頃と彼女が転勤で高松に来たタイミングが一緒だったのです。

今までは氣軽に会えたけれど、これからはそんなに頻繁には会えなくなる。。。

友達がこんな風に離れていくことが寂しくて、なんとも言えない氣持ちです。。。

大人になってからこんなに頻繁に会える友達というものを初めて得ることが出来ました。

SNSのやりとりよりも、会って話すことの方が圧倒的に多く、会えば話が尽きることはないし、一緒にいると心地よい。

SNSでは補うことが出来ないから「離れたってSNSで近況がわかるし」と思うことができないのです。


昔はみんながこうだったと思います。

再会するのがとても楽しみで、会ったら話が止まることなくあっという間に時間がすぎて、別れ際が名残惜しい。

その”切なさ”が今は貴重になってしまった氣がします。

男女関係においては感じることのできる”切なさ”を女友達においては感じる機会がほとんどありません。

だから、私は今「友達が離れていってしまう」という寂しい氣持ちと同時に、自分の中に芽生えた”切なさ”をどう扱ったらいいのかわからなくて困っているのだと思います。

でも頭のどこかでは”切なさ”という感情を心地よく思っているのです。

新しい自分の感情に出会えたという心地よさ。

この”切なさ”は忘れちゃいけない感情なんだと。


世の中がどんどん便利になっていけばいくほどに、人を愛おしむ氣持ちや、出会いを期待する氣持ち、別れを名残惜しむ氣持ちが薄れていると思いませんか?

会う前から知っている。

いつでも連絡が取れる。

会わなくても一方的に相手の近況がわかる。

それって何か違うって、便利になるのは良いことだけど、ちょっと過剰になりすぎている氣がする。

その先には、私たちが忘れちゃいけないものまで、忘れてしまう未来があるのかなって思ってしまいます。

だから、離れていく相手を想って切なくなる私の氣持ちは、忘れちゃいけない大切なことをちゃんとわかっている。

大人になってからの友達は、私に大切なことを最後に教えてくれました。

新天地でも、彼女にとって幸せな日々と素晴らしい出会いが溢れていますように。



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